おはようございます。
6時起床、早起き成功。トースト feat.コンソメスープ。
目覚めが良かった。すぐに顎下腺の辺りを触ってみたが腫れは当然治っていない。むしろ少しばかり大きくなっている気がしなくもない。熱は平熱ピッタなのでまだ大丈夫なんだろうか?もともと鼻炎持ちなこともあってルルを飲んでおいたが、まだ安静にす。
『プラダを着た悪魔』を観た。NetflixのYouTubeで紹介されていたのを見かけ、有名タイトルで以前から気になっていたこともあって。
女性向けかな?と身構えてしまったが特に引っかかるところも無くまずまず楽しく観れた。前に観た『セッション』と似た構造だった。『プラダを着た悪魔』:ファッション雑誌の鬼編集長(ミランダ)とアシスタント(アンドレア)、『セッション』:音楽学校の鬼教官(フレッチャー)と生徒(ニーマン)。
その道のサディスティックな「鬼」にひたすらしごかれるという師弟ものだという点で共通している。しかし行きつく先は異なる。
まず弟子側の主人公。『プラダを着た悪魔』の場合、アンドレアはミランダの下を離れ目標としていたジャーナリスト職に就く。仕事道具であった携帯電話も潔く噴水に投げ捨てた。パートナーとの関係も修復に向かっているようだった。ビジネスはビジネスだと割り切っていて健康的である。一方『セッション』の場合、ニーマンは紆余曲折ありつつも最終的にはドラムスティックを握り、フレッチャーと同じく音楽の道を選んだ(少なくとも劇中では)。パートナーとは既に別れ音楽院も退学していたため、いわゆる「もう失うものは無い」捨て身の状態でもあった。それゆえこちらは音楽に憑りつかれ、狂気に染まり切っていた。
次に師匠側。分かりやすいのはラストシーンの笑顔の違い。アシスタントを辞め、目標のジャーナリスト職に就いたアンドレアとたまたま目が合ったのち密かにミランダが浮かべた笑顔と、セッションの最後にフレッチャーが浮かべた笑顔(口元は映っていないが)。前者は他者の選択を尊重し行く末を見守るような暖かいもので、後者は孤高の芸術を生み出せたことに対するエゴな悦びを滲ませたものだと思う。
そしてラストシーンの先で再び師弟が相見える様子を想像したとき、そこにある二人の姿はどんなものだろうか。
端的に言えば、魂を売ったか否か。
(👆まとめられませんでした!以下文章の流れがごたつきます)
アンドレアは「悪魔」に魂を売ることもできたはずだ。しかしそれをしなかった。ファッション誌業界はあくまでも通過点でしかないという話は冒頭からされていたので、物語としては筋が通っている。パートナーの存在も考慮すると必然的なオチともいえる。綺麗にまとまっていたという印象。
あと、私はファッションに興味がないネイト(パートナー)寄りの人間なのであのコーデが、あのブランドが…みたいな視点ではまったく観ていなかったのだが、とりあえずアン・ハサウェイが可愛くて良かった。
あと、
好きなシーン
嫌いなシーンは、アンドレアがアピールしていたコーデに対してぶっきらぼうな態度を取っていたネイトが、ブラジャーにだけ食いついてイチャつく場面。おい!!!
あとシーンじゃないけど音楽の移り変わりが唐突な部分とシャッターでカットが切り替わる演出(眩しいから)。
はい。
喉がチクチクしてきたので、寝る。
今日はここいらで、おやすみなさい。