音楽を食べていくよ!

音楽以外も食べていくよ。

『〈無調〉の誕生』読んだ

 

おはようございます。

 

8時起床、早起き成功。トースト。

 

みなさんご存知の通り、昨年から私はメタルバンド・Meshuggahに恋をし続けている。Last.fmには彼らを聴き始めてわずか一年間で1,800再生もの履歴が記録された。彼らのフルアルバムの平均収録曲数から計算してみると、これは実質フルアルバムを170回リピートしたようなものだ。ここまでの執着具合があれば、この現状を恋と呼んでも差し支えないと思われる。

 

一ヵ月ほど前、日課としてMeshuggah情報をインターネッツの海からウキウキで漁っているとき。しばしば目に付きながらも釈然としない、とある単語の存在に気が付いた。その単語とは「無調(atonal)」である。伝統的なメタルバンドと比べると、確かに彼らの音楽からは明確な調性(メジャー/マイナー)を感じ取れる瞬間が少ない。ただ、その時ふと思った。それを果たして「無調」と呼んでよいのだろうか?と。

 

そのままハテナマークはMeshuggahうんぬんの枠を飛び越え、「無調」の定義に辿り着かんとした。なおブログ内で私もこの単語を使っていたのだが、言葉の意味を知らないで本当にこういう使い方をしていいのか?と悩むに至った。

 

普通に「無調」ってなんすか。

 

ということで。

 

柿沼敏江『〈無調〉の誕生: ドミナントなき時代の音楽のゆくえ』を読んだ。

 

とっっても読みごたえがあった。これは脳にちゃんと入れておきたい!と思ってマインドマップみたいなメモを取りながら書いた。それでもまだ整理しきれないほどの情報が溢れていた。ひゃー!とても疲れている。

 

タイトルの通り「無調」がどう生まれどう広がっていったかを様々なタイムラインから紐解いていく。しかし面白いのは多くの作曲家が「無調」の存在を否定している、つまりは調性の不滅を主張しているという事実。先んじて「無調」に到達し、一般に十二音技法の生みの親とされているアルノルト・シェーンベルクでさえ自らは「無調」という言葉を嫌い、代わりに「多調」「汎調性」という概念を提示していたという。そんなシェーンベルクに師事したエゴン・ヴァレス、そしてバルトークも「無調」は存在しないと。

 

十二音技法については「無調」的に使う人もいれば調性音楽と混ぜる人もいたらしく、また戦時中のナチス・ドイツで退廃音楽と呼ばれることに対して政治的な意図も含みつつ十二音技法を使い続けた音楽家の苦難の歴史もあり、発展してセリエリズム、スペクトル楽派、微分音、電子音楽に至るまでどう「無調」が扱われて来たかなどなど…。

 

腹パンパン!!!!!!!頭!

 

もっと書きたいけど時間も時間なので(23:58)、本書で紹介されていた十二音技法と調性音楽を豊かに組み合わせたサミュエル・バーバーの名曲を紹介して終わりにする。超ロマンチックで心奪われること間違いナシ。個人的にはかなり衝撃。

 

 

今日はここいらで、おやすみなさい。