音楽を食べていくよ!

音楽以外も食べていくよ。

さいたま国際芸術祭レポ②とJim O'Rourkeのライブレポ【今日の吸収 #227】

おはようございます。

昨日行ってきた、さいたま国際芸術祭のレポを書いていきます。「今日の吸収」ではないのはご愛嬌。作品と観客の境界=アクリル板が乱雑に張り巡らされていることで主客がこんがらがる、という話までしましたね。

一階の通路でそんなトリックを食らった先には「スケーパー研究所」がありました(撮影禁止だったので写真ナシ)。その名の通りスケーパーを研究している部屋ですが…まずスケーパーとは何ぞや。

SCAPERとは、景⾊をもう⼀度「みる」行為を促す存在を指す⾔葉です。この⾔葉は、現代アートチーム⽬[mé]が提唱した造語で、景⾊を表す「scape」に⼈・物・動作を示す接尾辞「-er」を加えたものです。

SCAPERという⾔葉は造語であり、その意味は明確に定義されていません。現代アートチーム⽬[mé]によると、SCAPERは「虚と実のあいだの存在」とされています。スケーパー研究所では、SCAPERを「虚構と現実のあいだを揺れ動く存在」と捉え、景⾊を⾒る⼈々に何らかのインスピレーションや感動を与えたり、新たな発⾒や気づきを促したり、現実を⾒る⽬を変えるきっかけを提供する存在と考えています。

例えば、映画や⼩説の世界に登場するような⾮現実的な出来事やキャラクターが、現実に現れる可能性を仮説として⽴てています。また、偶然の⼀致や奇妙な出来事が何かしらの意味を持っているように感じられる場合も、それをSCAPERによるものと考えています。

ただし、これらはスケーパー研究所による独⾃の解釈や仮説であり、個々の解釈や捉え⽅は多様であることにご留意ください。

―「スケーパー研究所」HPより引用(リンク

要するにスケーパーは、またもや作品の境界を曖昧にするために会場側が仕込んだトリックなのでした。例えば、会場のアクリル板を掃除し回っている清掃員は最も分かりやすい形のスケーパーです。上の定義によれば、不可解な場所に置かれたオブジェクトもスケーパーの仕業と考えられますね。

階段の下を覗くと…

こんな風景の中にも

あった

スケーパーの勢力範囲は芸術祭会場に留まらず、なんとさいたま市内全域に亘っていました。加えて最終日だったということもあってか、研究所内には膨大な目撃情報・調査書が散らばっていました。「フェイスパックを付けてミニカーを美顔ローラー代わりに使っている人」などそれっぽいものだったり、「amazonのロゴが書かれたカバンを持ち歩いている人」「一本だけ斜めに刺さっている公園の柵」など眉唾ものだったり、いろんな情報がありました。ずっと見ていたかったです(ここだけ混んでいたのでやむを得ず足早に)。

ちなみに、入って左側には専門書がずらりと棚に並んでおり、何かメッセージでも隠されていたのか?と深読みしてしまいました。右側の壁には映画とかでよく見るエビデンスボードがあって興奮しました。奥では研究所職員二人がデータを集計しており、ここでも作品の境界があやふやになっていました。

研究所を後にして進んでいるとすんなり外に出てしまいました。前には最初にチケットを交換した受付の入り口が。あれ?後ろを振り向くと「一方通行」の文字が。なんと動線設計すらイレギュラーだったのです。入口と出口が複数あり、何周というか何ルートも周らなければ全貌を把握できない作り。まるで迷路、RPGのダンジョン。冒険心をくすぐられます。

そうして私は再び受付を横切り一階のロビーに戻ってきたんですが、最初に来た時より明らかに「作品」の雰囲気を強く感じたんです。周りにあるものすべてが怪しく見えてくる。アンテナを張ってうろついていると、見落としていたものに気づきました。受付の上の看板、ネットに引っかかったバドミントンのシャトル動線のためにぶっ壊されたガラスなどなど。

パンクだ

私は加速しました。アンテナはどんどん過敏になり、何の変哲もない植木や張り紙、ただの椅子ですら作品に見えてきました。アクリル板で遮られていないのにも拘わらず、周りの観客も怪しく感じてきました。

アクリル板によって主客の逆転が起き、スケーパーによってインスタレーションの範囲が個々人の間でミーム汚染的に広がっていく。入場して小一時間で世界の見え方が変わってしまいました。衝撃でした。

その後もミハイル・カリキス氏の『ラスト・コンサート』では吹奏楽、前衛的な合唱とティンパニソロに食らい(音響もかなり良かったが故に開けっ放しのドアが気になってしまったが)、『ポートレイト・プロジェクト』の美しすぎる写真に息を吞み、L.PACKによる落語「茶の湯」を缶コーヒーに改変した没入型アート・『定吉と金兵衛』のシュールなインスタレーションに感動し(たものの実際に体験できなかったのは大変悔しかった)、あっという間に15時。

楽しみ

芸術祭を締めくくるJim O'Rourkeコンサートの開場まであと30分となったところで、せっかくなら前で観ようと思い大ホールのドアの前に並び始めました。既に2、30人並んでいたのですが、結局一番前の右から数列目くらいのところに座れました。ラッキー。

ステージに目立った機材は一切見えず、引き出しや机などの事務用具が乱雑に置かれているだけで、どのようなパフォーマンスをするのか全く分かりませんでした。さいたま市長のアナウンスでは「盛り上がっていきましょう」と言っていたのですが、たぶん(一般的に)盛り上がるタイプの音楽ではないだろうな…と心の中でツッコみ、待機していました。

迎えた16時。ブザーも何も鳴らずゆっくりと照明が落ち、ついにJim O'Rourkeが登場!無言でスタスタと早歩きで事務机に向かい、静かに座りました。拍手も無く厳かな緊張感が漂っていました。そんな静寂を打ち破ったのはプツプツ途切れた電子音。まるで星空のようにキラキラした音色と細切れの重低音が優しく会場を覆い、壮大で幻想的な空間が創り出されました。

予想通りのアンビエントセットでしたが、思った以上にガチのアンビエントでした。小節線など無い自由を泳ぎ、ルーズで身体的なタイミングを計りつつ、色とりどりの音をコントロールしていました。神々しかったです。動物の鳴き声、風のそよぎ?などのフィールドレコーディング、ガムランのようなぼやけた音の層、アナログシンセ、ピアノ、ノイズ、ドローンなどを組み合わせて絶景を生み出していました。まるで大地創生のタイムラプスを観て/聴いているかのような感覚でした。ずっと心地よい音の連続だったので思わず瞼を閉じてしまいましたが、決して寝てはいないということをちゃんと書いておきますw

心安らぐ音の洪水に浸かっていると、クライマックスで目が覚めました(もちろん寝ていたという訳ではありませんよ)。自然のざわめきが激しく共鳴していき一体となった音の塊が飽和、膨張していきます。直感ながら「多分ここが一番の盛り上がりどころだろう」と思い、ヘドバンというより細かく頷くような形で音を噛み締めました。ふとステージにいるJim O'Rourkeを観ると、私と同じ動きをしていました。なんだか嬉しくなりました。

そんなこんなで、最後はストリングスのようなドローンをかなり溜めながらフェードアウトさせ、壮大な物語の幕が閉じました。Jim O'Rourkeは立ち上がり超小声で「ありがとうございました」と呟き、こちらに向かって素早くお辞儀をして捌けていきました。満場の拍手が送られ、戻ってきてもう一回ペコペコ礼をするとさらに拍手は強くなりました。私も30秒ほど拍手し続けました。最高でした。

音楽と同期した映像もプロジェクタで映されていましたが、意外と小さかった上にJim O'Rourkeに被ってたりしてたのでわずかに勿体なさを感じました。あとステージ右前のデスクに「トイレは3階にあります」という雰囲気ぶっ壊しの張り紙が貼られたままだったのは謎でした。あえてなのかな?

とても有意義な時間を過ごせました。道端の空き缶をじろじろみながら帰りました。

 

 

- - - - - キ リ ト リ - - - - -

 

今日の「1日1ラ」は、00s・287位・Nine Inch Nails『Still』!個人的にあまり理解できていないアーティストの筆頭です。『The Downward Spiral』は何度か聴きましたが未だに分かりません。『March of the Pigs』しか覚えていません。今作はどうなのか。理解の手掛かりになったらラッキーです。

①なんとピアノ始まり。奇妙な明るさを持つミクソリディアンb6なのがやはりといった感じだが、ボーカルもかなりしんみりとした入りで聴きやすい。3:20~強い悲しみのエネルギーをm3のピッチと共に解放させる。飾り気のない迫力がある。その後は極端にテンションを落とし、最後に再び爆発する。

②ゆったりとした3拍子の中で普通のピアノは伴奏に徹し、コロコロとしたプリペアドピアノはメロディーとして切なく響く。非常に落ち着いたインスト。

③エレピの弾き語り。1番の後の静寂。後半で力強いドラムが鳴り始めるが、よくわからないところに着地する。

④やっとインダストリアルっぽいのが来た。7+6=13拍子の怪しげなフレーズと湿った打ち込みドラム。といってもアコースティック色の方が強く生ドラムも被さってくる。独特な熱気があってカッコいい。

⑤優しいタッチのピアノ。振り子時計のようなベースも渋みがある。パッドがアンビエント的に広がり、これといって何も起きず曲は終わる。

⑥ピアノ。混じりけの無いメジャーコードで晴れつつある空。まっすぐ伸びる暖かい歌声、クロマチックに上昇するフレーズも面白い。中盤で影が差し、2:25~ギター/ベースとドラムが最低限の音量と音数で静かに入る。煌めいたピアノが現れ、だんだん伴奏も厚みを帯びてくる。美しい。最後もメジャーコード。水のせせらぎが残る。

⑦シームレスに始まる。虚ろげではあるものの豊かなテクスチャの変化がみられる。音の距離が近づき、アコギ/エレキが重なる。4:20~じわじわとドラマチックに盛り上がる。悲しげな歌声には繊細さが垣間見える。

⑧等間隔で鳴り続けるピアノの低音から始まり、アコースティックで重々しい演奏がなだらかに続く。

⑨エコーとノイズが虚空で混ざり合ったり、輪郭を取り戻したりするアンビエントナンバー。後半うっすら聴こえてくるクワイアは明るいが悲しい。

総合:インダストリアル的な音色はほぼ皆無と言っていい、アコースティックな弾き語り的アプローチとアンビエントに包まれたほの暗く美しい作品。NINの暗さ成分は理解できたが、サウンドの方針については一層分からなくなった。

お気に入り:①④⑦

今日はここいらで、おやすみなさい。