おはようございます。
8時起床、早起き成功。菊地成孔&大谷能生『憂鬱と官能を教えた学校』を読んだ。
バッハの十二平均律からMIDIを結ぶ均質化=大量生産の直線に位置づけられた万能音楽理論「バークリー・メソッド」。名門・米バークリー音楽大がポピュラー音楽界にもたらしたその功罪と周縁を、東京のジャズメン・菊地成孔のユーモア溢れる語り口と共に検証していくおもしろ本。映画美学校の生徒に向けて行われた講義の書き起こし。
チャプターは「調律」から始まる。音の原理から不思議を探る「調性」、ジャズを軸にして理論の核へ迫る「旋律・和声」、バークリーから離れて「律動」、そして最後に俯瞰して「総論」。で「あとがき」。
中でも「旋律・和声」は全12章のうち6章、つまりは半分を占めている。というのも、音楽理論を音楽理論抜きで語ることなど不可能なのでやむを得ない処置だと思う。しっかりイチから説明しているので優しいことには優しいが、かなりの駆け足になっているため理論を真面目に学ぶ目的ではオススメできない。私はバークリー・メソッドの概形を理解していたためさらっと読めたが、割と前知識が無ければサッパリだと思う。
私がこの本を読んだのは、ある日ネットで見かけた菊地氏が唱える「音韻と音響」理論に惹かれたためだ。きっと私の思考回路に噛み合いそうだと、非常にビビッと来た。バークリーがどうこうよりもこちらが気になっていたのだ。本書はこれが軸になってもいるので、以下にその説明を引用する。
記号化、つまり音楽の構造をプレハブ住宅だとかレゴブロックみたいに、それ自体には意味がない、入れ替え可能な箱を並べるみたいに考えたいっていう欲望は、これはつまり、音楽を何度でも再現できる「音韻情報」だけに還元して考えるってやり方と相当な親和性があります。「音韻」っていうのは音楽の「内容」、というか、その音楽をぱっと聴いたときに覚えていて、で、後で再現できるような音の情報のことです。
それに対して「音響情報」っていうのは、その時、その場所でしか聴くことのできない音の要素。たとえば、洞窟だとか教会だとかで門外不出のグレゴリオ聖歌みたいなのを聴いたとしますよね、その時に声の残響がすごくいいだとか、ここの教会でしか聴けない石の倍音があるとか、何かそういったことでもってその時、その場所でしか聴くことのできない響きってのが生まれますよね。
菊地 成孔,大谷 能生『憂鬱と官能を教えた学校』(p18)より引用
バークリー・メソッドは記号化による音韻の操作や分析に長けていたがゆえに、20世紀ではそこから離れて音響を重視した音楽(アブストラクト/ファンク方向)が生まれてきたという。菊地氏は音韻と音響を同列に扱うといった立場をとっているが、いわゆる「音響派」は音響が音韻を包含するものと考えられているらしい。
こういう話も面白い。ちなみに私は「音韻派」だ。バークリーほどではないが。
…23時50分!もう書き終えなければいけない!!雑なまとめに入る。とりあえず、やや昭和臭いユーモアが良いアクセントで、楽しく読めた。「律動」でのリズムの話もとても興味深く、大変好奇心が掻き立てられる内容だった。ニコニコチャンネルも入会してしまおうかしら。
一応、気になったところもメモ程度に書いておく。
- バークリー・メソッドの外も俯瞰する内容でありながらリーマンやピストンなど他の理論への言及が無い点
- 核となる学理的な話が駆け足なのである程度の前知識を必要とする点
- 菊地氏の語り口が独特な点(私は好きだが)
- The Beatles《Michelle》の歌始まり二番目のコードは「Ebm7」ではなく正しくは「Eb7(#9)」ではないかという点
- Miles Davis《The Pan Piper》で「スパニッシュ・モード」が使っていると書かれているが正しくはメロディック・マイナーであり、スパニッシュならばクローザーの《Solea》ではないかという点
後ろ二個は重箱の隅をつついているようなものだけど。
とかく ためになったね~。
今日はここいらで、おやすみなさい。